練馬発、東京再生
医療現場から都政へ
現在日本では、人口減少が深刻な課題となっていますが、その一方で入院患者数は増加し2040年にピークを迎えると予測されています。
「入院したくても入院できない」「診療を受けたくても受けられない」
医療現場では「2040年問題」と呼ばれており、コロナ禍で経験した医療崩壊の再来が危惧されています。
2040年の医療を、今、動かしましょう!




医療・福祉から東京を変える
—— 医療難民の発生回避 ——
病院には「急性期」「回復期」「療養期」という3つの分類があることをご存知でしたか?救急車の搬送困難といった問題が叫ばれていますが、その地域の病院や医師の不足だけではなく、急性期病院に患者が滞留していることも大きな原因のひとつを考えます。
そこで私は、医療機能の分化と連携の強化、そして「進化する療養病院」の構想を提案します。
—— 人生会議(ACP)の普及 ——
終末期の患者さんの7割が最期の時に自分で意思を決めることが困難と言われており、実際に家族の希望や医療者の判断で延命が続くことが少なくありません。しかし認知症の方でも痛みや恐怖は感じており、最期まで緩和ケアと尊厳が必要です。また延命治療にかかる医療費や介護費の膨張は、社会保障の大きな負担になっています。私は、自分の最期を自分で考える「人生会議(ACP)」の普及を、都として本気で進めるべきと考えます。
本人の意思を尊重し「やりすぎた終末期医療」を減らす、それが心ある医療と持続可能な社会を両立させる鍵です。
—— 看護学校等の無償化 ——
いま、看護・介護の現場は深刻な人手不足に悩まされています。私たちが安心して暮らすために不可欠なのは、「人を支える人」が地域で育ち根付いていくこと。だから私は、看護学校・保育士専門学校・医療福祉系の養成校の無償化を提案します。仮に経済的に厳しい状況であっても、地域で人を育て、誰もが地域の力になれる。
そんな持続可能な仕組みを作っていきます。
—— 子育て支援 ——
少子化が進むいま、子育てはもはや“家庭だけの責任”ではありません。現行の子育て支援制度をより利用しやすいものに改革するとともに、キャリアと子育ての両立がしやすい仕組みの導入を行なっていきます。
育児を理由に仕事をあきらめない、東京をそんな”未来を育てる都市”にしていきます。
幼少期

沖縄出身。徳之島と久米島出身のハーフ。幼少期は毎日海で過ごしました。素潜りが特技の「うみんちゅ」です。嫌なことがあるとナンクルナイサ~とやり過ごしていました。趣味はお酒、旅行、食べること、温泉。大学時代は毎週末海へ行き、リュック一つで旅に出る様なヤツでした。この写真は学費支援をしていた女の子に、 ネパールまで会いに行った時の写真です。――海と旅で私の医療観が育まれました。
「医療格差をなくし、誰もが正しく必要な医療を、必要な時に受けられる」そんな医療を目指しています。
医師としての歩みと新たな挑戦

中央大学法学部中退後、琉球大学医学部へ進み、医師としてのキャリアをスタート。
中部徳洲会病院で離島・僻地医療に従事し、救急総合診療科医として勤務。その後、産業医科大学病院および獨協医科大学病院日光医療センターで循環器専門医として勤務しました。 専門は循環器内科と総合診療科。医学博士。前橋城南病院では病院長を務める中で、コロナ禍を経験し「医療だけでは救えない課題」――高齢化、地域の疲弊、制度の限界等に直面。医療の現場から、新たな一歩を踏み出す決意を固めた。